アウシュビッツ平和博物館を訪ねて    映画「AMEN」    ユダヤ人を救った「A級戦犯の弟」   トップページへ戻る HOME

アウシュビッツ平和博物館を訪ねて

東北本線白坂駅を降りる

 日本国内では極めて珍しい、アウシュビッツ平和博物館を訪ねました。東北新幹線新白河駅から東北本線に乗り換え、一駅目の白坂駅を下車。周囲は住宅がちらほら見えるだけの小さな駅だ。もちろん駅員もいない。そもそも降りたのは私一人だけ!
 駅前に看板も無くて、どの方向へ歩いていいか困った。誰もいないから道を聞くことも出来ない。少し歩いたら、駐在所があった。交番のありがたさを今日ほど痛感したことはない。駐在所に入ろうとしたら、なんと向かいに「アウシュビッツ平和博物館」の看板が建っているのを発見・・・。


ボランティアさんの手で作られた小さな博物館

 この博物館は、ボランティアさんの手で作られ、運営されてるそうだ。入場料は500円、館内へ入ると、ポーランドの博物館から借り受けた物品・写真パネルが多数展示されている。アウシュビッツで行われたナチの犯罪の数々、抵抗運動に参加した人々の紹介、アンネ・フランクの足跡をたどる展示、などなど。収容された人々の所持品や、SS部隊員の装具は本物を借り受けている。アウシュビッツに関係する資料となると、被害者側・加害者側双方とも膨大な量にのぼる。この場に出されているものは、全てを網羅するには程遠い展示内容だが、限られた資金や人手を考えると、よくここまで出来たものだと感心させられる。

抑留者は貨物列車で運ばれた。それをイメージしたモニュメント。

アウシュビッツ強制収容所長ルドルフ・フェルディナント・ヘス〜平凡な小市民の狂気

 ガス室をはじめ、徹底的にシステム化された虐殺機関を指揮したルドルフ・ヘスという男。この男の手記なるものを読んだことがある。解説によると、彼は特段精神異常者でもなし、サディストでもなし、拍子抜けするほど平凡な中年男だったと言われている。

 彼に適当な病名を付けるならば、過剰適応とでも言うべきであろうか。彼は、義務に忠実で模範的なナチス親衛隊員であるらしかった。親衛隊の人事評価によると、「彼の独特の強みは実践にある」などと高い評価を受けている。平和な西ドイツに生まれていたら、優秀なサラリーマンとして一生を送ったのであろう。

 彼の手記を見て驚くのは、義務に忠実であるばかりに過酷な現実と向き合わされている自分を、あたかも一教養人の悲劇とでも言うような、感傷的な感想まで述べていることだ。この白々しいセリフを見て思うのは、一応ヘス自身も人間の心を持っているのではあるが、自分を守るために心のスイッチを切ることで、死体が累々と横たわる光景も他所事のように感じられたのではないか、と見ることもできる。一個人としてのヘス、機構としてのヘスは、完全に分裂していた・・・だからこそ何でも出来た訳だ。


 ドイツ敗戦後、ヘスはポーランド戦犯法廷に引出された。そこでヘスは、強制収容所の実務・「虐殺工程」に関する詳細な報告書を提出し、ポーランド人を驚かせた。さらに彼は、誰も頼んでいないにもかかわらず、自分の思い違いを自発的に注釈を加えるなどして、ポーランド判事の仕事を助けようとした(そのくせ、アウシュビッツ所長を解任された理由は、被抑留者との女性問題であることなど知らぬ存ぜぬで通した。この辺の小市民ぶりもまた、味わい深いものがある)。
 ここでも彼は、模範的な囚人であろうとした訳だ。彼はどんな環境にも自身を適応させようとする。だから、ホロコーストの現場でも、戦犯法廷でも、常に何かの権威に忠実で、献身的であり、いい子ちゃんを演じることなら手段を選ばない。

 こうしたヘスの心理は、極端な例かも知れないが、だからと言って他所事で済まされない。ナチの蛮行の数々は、案外礼儀正しく、生真面目で、すまし顔の小市民による仕業だった。法令遵守と言われて素直に従っているようなフツーの人々こそ一番恐ろしいのだ。もしナチス・ドイツの世に生きていれば、粋がってSSの制服に身を包み、ユダヤ人を平気で撃ち殺す。スターリン・ソビエトの世に生きていれば、よせばいいのに共産党員なんかになっちゃって、同志を平気で密告したりする。

 しかし僅かながら、周囲の空気に圧殺されることなく、自らの意思を貫く人間もいたのである。気になる人物がいるので、いましばらくお付き合い願いたい。

→次ページ:クルト・ゲルシュタインSS中尉〜映画「AMEN」から

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