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国家人民軍

所謂「東ドイツ軍」〜何故かナチス・ドイツ時代を彷彿とさせる雰囲気

 ドイツが東西に分断され、ドイツ民主共和国(東ドイツ)は完全なソ連の指揮下に置かれたが、もちろん軍隊もあった。其の名も国家人民軍〜一体どうしたことか、制服がナチス・ドイツ時代とそっくりなのだ。西ドイツが、プロイセン軍国調から決別してアメリカ式の制服を採用したのと対照的に、東ドイツでは伝統的な「ドイツ軍デザイン」がしっかりと残っていた。ソ連が何故其れを許したのか不思議だが、ソ連の傀儡国家であることを隠す意図もあったらしい。


↑は、拙者所有の東ドイツ行進曲CD「Traditionsmarsche der NVA」のジャケット。国家人民軍は、ワルシャワ条約機構最高の練度を誇る精鋭であった。昔ながらのグースステップ(ガチョウ足行進)を披露し、赤いプロイセンと恐れられた。ところが、国家人民軍の火薬庫の鍵は、常にソ連将校が管理するなど、ソ連は彼らの謀反を恐れていたとされる。供与される武器も、最前線のソ連軍と比べて大幅にスペックダウンされたものだった。何故なら、同等の武器を持たせたらドイツ軍が絶対に勝つからである(笑)。

東ドイツ切手
↑東独35周年の記念切手に描かれた国家人民軍

国家人民軍の制服は、案外簡単に手に入る


 東ドイツ消滅後、国家人民軍の制服は不要となり、「欲しい人は持ってけ!」状態となった。だから、ネット等で案外簡単に手に入るのである。早速、制服一式を揃えてみることにした。ワイシャツだって此の通り、やはり雰囲気はドイツである。


 勤務服も此のとおり、胸ポケのあたりが如何にもドイツ軍だ。しかしながら、勤務服には「肩章」がついていなかった。軍隊服で「肩章」が無いと、捕虜にでもなったようで間が抜ける。是はいかん!と肩章をネットで探したら、ちゃんと売ってる店が出て来るところが凄い。左下の写真は、下士官用肩章と星章、さらに肩章を留めるためのボタン。肩章の付け方は、映画「善き人のためのソナタ」でシュタージの制服が登場するシーンを参考にした。




 制帽に「鷲が翼を広げるマーク」を付ければ、速攻でナチス・ドイツ軍に早変わりしそうである。著書ニセドイツによると、国家人民軍について東ドイツ政府は「16世紀に起きた農民戦争の後継軍である」と定義したと云う。そりゃねーだろと此処もまた突っ込むところ。

東独制服は、拙者のインテリアの一部に


 単なる2DKのアパートを百倍愉しく暮らすと云うコンセプトから始めたのが、勝手に自宅Bar「プロイセン」の開店!帝政ドイツ軍旗が「プロイセン」風味を醸しだしておるのだが、此処で東独制服の登場であります。せかっく買ったアイテムは活用しないと。入店したい方は↓のバナーからどうぞ!


 時代が下るにつれて、東独制服は一種独特の活用のされ方をするようになった。例えば、職場のウォーキングイベントで景品のバッジ(上司が手作りでバイキンマンのバッジを作って下さった)を授与された際には、制服に「勲章」として取り付けて、ブログにアップする。「いくらなんでも東ドイツ軍にバイキンマンはないがな」とギャグをカマすとかね。もうジョークのネタに使ってます。
 似た話で、こんなことがありました。拙者は個人で小説を書いてますが、小説の一場面に「JR西大山駅」と云う、鹿児島県の南端にある駅が出て来るんです。読者の方が「聖地巡礼」に、現地まで行かれたことがありました。


 そして、読者様からお菓子と共に「西大山駅の缶バッチ」をいただいたのです!嬉しい!缶バッチは「勲章」として付けさせていただいて、ホームページにUPする、みたいに活用しています。

★おまけ★〜東独崩壊直後、街中のあちこちにこんな光景が見られたそうです〜


 東独崩壊から数年後、大阪在住の親戚K氏がベルリンへ行ってきた時の貴重なショット。東ドイツ崩壊後、要らなくなった人民軍の制服や装備品が、道端の露店で売られていた。此の種の露店はあちこちに出没したらしい。あきらかに怪しげなおっちゃん、近づくのも気が引けたそうだが、今思えば何か買っておけば良かった、とのこと。

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Im Gleichschritt Marsch!

★アマゾンにあった東独行進曲のCDの画像リンクが貼れなくなりました。代わりに、カラヤンや我が海上自衛隊のCDを紹介しておきますね。




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