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映画:善き人のためのソナタ

「大人過ぎる!」ドイツ映画の世界

 この映画の存在を、新聞記事によって初めて知ったのを記憶している。記事を読むなり、この映画を見ずして死ねないな!と思うに十分だった。謎多き東ドイツ時代の真実を伝える傑作が現れた!ドイツ映画史で最も重要な作品!と評価はベタ褒め。これを見ないとこには、人生半分損したようなものだ。

 
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 何よりも、「さすがドイツ映画・・・大人過ぎる!」と思ったのは、描く視点である。もう拙者もいい年なので、子供じみた勧善懲悪の映画にはうんざりしていた。歴史映画というのは、被害者の視点で描くのが一番楽だ。被害者ヅラして声を荒げておけば、観客の心をつかむのは簡単だ。
 どの国とは敢えて申し上げないが、社会があまり成熟していないとお見受けするアジアの複数の国々で、この種の映画がお約束のように量産されている。ところが、歴史の加害者の視点で映画を作るというのは猛烈に難しい。自国の恥部に鋭く切り込まねばならず、高度な知識武装が要求される。

 もちろん、その国の社会体制においてある程度表現の自由が保障されていなくてはならず、多様な価値観を許容する懐の深さと精神的余裕を持ち合わせていなければならない。独裁政権下や民主主義的に未熟な国では製作そのものが不可能である。しかも、映画館に足を運んだ観客が、歴史の加害者たる主人公に感情移入してもらわうためには、かなりの工夫が必要だ。なぜ主人公が体制側の走狗とならねばならなかったのかを丁寧に語る必要があるし、例えば「ドイツ兵=悪」というステレオタイプなイメージから観客を解放させるために、言い訳ナシの説得力ある裏付けをもって主人公の存在を理解してもらわねばならない。もちろん、映画を見る側もそれなりの教養が必要とされるが・・・。

敢えて「シュタージ」の視点から描くという設定が憎い

 この映画の主人公は、国家秘密警察「シュタージ」のエリート捜査官である。拙者はまず、この設定が非常に気に入った。初めに出てくるシーンからは、主人公が血も涙も無い体制側の走狗であることが表現されている。しかも、憎らしいほどシュタージの制服が格好いいのだ。シュタージの制服は国家人民軍と同様のデザインで、非の打ちどころの無いプロイセン軍国調の意匠からは、ナチス親衛隊の残滓すら感じられる。

 
 ↑国家人民軍の制服(管理者所有)〜シュタージの制服も同じ意匠を採用

 ところが・・・この映画の主人公=シュタージ捜査官ヴィースラー大尉は、ある劇作家の監視活動を始めたことがきっかけで、彼の心情にかすかな「変化」が生じてくる。盗聴をする中から、様々な芸術なり思想なりが彼の耳に伝わってくる訳だが、その中であるピアノソナタが彼の心を捉えてしまう。それは、「この曲を本気で聴いた者は、悪人になれない」という、「善き人のためのソナタ」であった。

 天からもたらされたような美しいソナタ・・・長年シュタージ捜査官として国民を弾圧してきたヴィースラーは大きく心を揺さぶられる。監視対象は監視対象でしか無いはずだったのに、体制によって引き裂かれ、歪められていく人間の悲劇を目の当たりにしている自分に気付くのである。
 彼らを出来れば見逃したい・・・人間の心を取り戻したヴィースラーは、監視を続ける立場から逆にあらゆる手を尽くそうとする。ところが不審に思ったシュタージ上層部がこの芸術家に対する家宅捜査を開始、そこで思わぬ事態が起きるのだが・・・。

歴史の加害者は、時として救済者となり得る?

 シュタージだの、ナチ親衛隊だの、これらは歴史の闇で暗躍した組織に他ならないが、そこに属する人間もまた、いろんな奴がいたのである。サディストぶりをそのまま発揮した人間のクズもいれば、良心の呵責に耐えかねて精神を病んだ者もいるだろう。誰も見ていない所でささやかな抵抗を試みた人間もいるかも知れない。
 映画「戦場のピアニスト」では、ホロコーストから逃れようとするユダヤ人ピアニストに救いの手を差し伸べたのは、皮肉にもドイツ軍の将校だった。しかも、この映画を監督したロマン・ポランスキー氏が幼い頃の話だが、ユダヤ人・ゲットーから脱出する際、ばったり出くわしたドイツ兵(=SS?)にこう言われたという。

 小僧!そーいう時は走るな。

 これ、実に味わい深いシーンでもある。なぜなら、ドイツ兵だからこそ成しうる「救いの手」だったからだ。

 そして・・・シュタージのエリート捜査官であったヴィースラー大尉もまた、歴史の加害者だからこそ成しうる救いの手を差し伸べることができたのである。

 ハリウッド映画では、せいぜい紙人形のようにパタパタと倒されていく存在でしかない彼らも、やはり生身の人間であり、貼られたレッテル通りとは限らないところに、人間の面白さがある。
 そうは言っても、歴史は残酷である。ユダヤ人ピアニストを救ったホーゼンフェルト大尉はソ連の収容所で非業の最期を遂げた。ポーランド人の助命嘆願も届くことは無かったのである。ポランスキーを見逃してくれた兵士はその後どうなったのか。戦場で死ぬか、元SSというだけで戦犯として処刑されたかも知れぬ。しかも、戦後の共産主義政権下では表現の自由が無く、ドイツ軍に救われたことを公言することも出来なかったという。全体主義国家は、とにかく気に入らない誰かにレッテルを貼り、不満の矛先を向けさせるのだ。

 シュタージ捜査官の彼の場合はどうか。映画では、ベルリンの壁崩壊によって東ドイツの体制が正に革命のようにひっくり返ってしまうところまで物語を進めていく。芸術家に対して見せた、人間としての善意が報われることも適わず、元シュタージというだけで、歴史の重い代償を払わせられる立場に追いやられることを、映画では重く暗示している。
 しかしながら、こうした「加害者だからこそ成し得た救いの手」は無駄ではない。それによって救われた人間は、決してその恩を忘れることはないのは、この映画の感動のラストを見れば明らかなのである。

シュタージ・・・東独出身者にとって永遠に忘れられない傷

 かつて、ドイツ人というだけで欧州各国から「ナチ呼ばわり」された時代があった。ところが、ドイツ統一後、今度は東ドイツ出身者というだけで西ドイツ国民から「シュタージ呼ばわり」されることになってしまった。シュタージとは、東独出身者をバカにする際の決まり文句になってしまったのだ。
 国民の10人に一人はシュタージの協力者・・・ナチ政権下のゲシュタポやソ連のKGBですら、ここまで徹底した監視体制を築いたことは無かった。10人に一人となると、ご近所さんだけでなく、職場や親戚の誰かが協力者ということになる。実際、恋人や家族が協力者であったことが後になって分かり、精神的ダメージを受けた人が続出したという。シュタージとは、東独出身者にとって永遠に癒せない心の傷であり、触れられたくないタブーであった。東時代も悪い話ばかりでは無かった・・・コメディ映画「グッバイ・レーニン」や、信号機キャラ「アンぺルマン」など、東時代を懐かしむ「オスタルギー」という概念が広まっても、「シュタージ」だけは絶対に繰り返して欲しくない「負の遺産」なのである。

 東ドイツ最大のタブーに挑んだこの映画は、歴史の加害者サイドの視点を盛り込むことで、安易な差別感情を助長することを抑えただけでなく、東西の真の和解を模索しようという意気込みも感じられる。まさに「ドイツ映画史で最も重要な作品」なのである。  

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