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ヨルク軍団行進曲

作曲者はあの超有名なお方

 拙者が所持しているCDの解説書によると、此の行進曲はドイツ連邦軍ボン国防省儀仗兵大隊の公式マーチとされている。海上自衛隊演奏CDなのだが、録音された当時が「ドイツ連邦共和国の首都=ボン」だった訳である。儀仗隊の公式マーチなのだから、各国要人を迎える際に演奏されるのが前提だ。ドイツ軍も此の曲なら自信を持って演奏するに違いない。何故なら曲の作曲者は、世界中の誰もが知っているあの「ベートーヴェン」なのだ!下は軍楽師から上は王様まで〜ドイツ行進曲の作曲者は層が厚い。厚いなんてもんじゃない。歴史に名を残した大作曲家までもが行進曲を作曲し、それらは公式に採用されているのである。
 拙者はクラシック党を自認しているものの、ベートーヴェンは聴かない人である。ヨルク軍団行進曲に出会う以前から持っていた唯一の音源は、小樽で買った「エリーゼのために」のオルゴールのみだったことに今気が付いた。


↑ベートーヴェンの音源は是だけ持ってた(笑)

行進曲の題が何故「ヨルク軍団行進曲なのか」

 CDの解説書によると、1809年オーストリア皇后マリーア・ルートヴィカの命名祝祭日に、ウィーン・ラクセンブルク王宮の庭園において、アントン大公の指揮するボヘミア守備隊がお祝いのパレードを行ったが、その際に当該行進曲が演奏されたと云う。このため、「ボヘミア守備隊行進曲」と呼ばれるようになった。
 後に、此の行進曲がプロイセン国内に伝わると、プロイセン軍の行進曲として採用されることになり、題として「ヨルク軍団行進曲」と命名されたらしいが、詳しいことはよく分かってない。要は、曲が出版される際に題を付けなかったらしいのだ。作品番号も無かったと云う。かなり適当な取扱いだが、それが後世、ドイツ軍の公式な行進曲として演奏されることになろうとは、ベートーヴェン自身も想像していなかったに相違ない。ベートーヴェンの楽曲は、既にほとんど語り尽くされているかと思いきや、まだ不明な部分もそれなりにあるのである。

さて、ヨルクとはいかなる人物か?

 さて、行進曲の名前にもなっているヨルクとはどのような人物なのだろうか。本名は、ヨルク・フォン・ヴァルテンブルク伯爵〜プロイセン軍の将軍である。当時のプロイセンは、まったくもってどうしようもない状況にあった。ナポレオン率いるフランスの蹂躙に膝を屈したのである。しかも、ロシア侵攻作戦への協力を強要され、多くのプロイセン軍将兵がロシアの地に赴いた。ロシア侵攻作戦は、フランス一国で行ったものではない。フランスに屈した欧州各国の兵士が動員され、その割合はフランス人を上回る「多国籍軍」の様相を呈していたとされる。
 ところが、作戦が見事な失敗に終わったのだ。俗にロシアの冬将軍によって大勢の兵士が寒さのために亡くなったと云われている。実際は、侵攻開始直後の夏の段階で、灼熱の大地とロシア軍の焦土作戦のために水も食料も無くなり、兵士たちはバタバタと斃れていった。

 此の散々な状況にあって、プロイセン軍のヨルク将軍はナポレオンに見切りをつけた。ロシア軍の司令官ディーヴィッチ将軍と極秘に休戦し、ナポレオン陣営から離脱したのである。此の「裏切り」を後押ししたのは、あの有名なクラウゼヴィッツであった。カール・フォン・クラウゼヴィッツと云えば、そもそもプロイセン軍人であるはずだが、当時は反ナポレオンの立場からロシア軍に従軍していたのである。(後に起こる「独ソ戦」との違いが甚だしい。ちなみにクラウゼヴィッツはポーランド系の人物)
 ヨルク将軍の「裏切り」は、ドイツ諸国民が反ナポレオン戦争へ突き進む大きなきっかけになった。なるほど、当該行進曲にヨルクの名前を引っ掛けるセンスも悪くはない。

第二の裏切り〜ヒトラー暗殺未遂事件

 1944年、ドイツ国防軍はロシア各地で敗北を重ね、撤退を続けていた。1941年に始まった独ソ戦は、当初はドイツ軍装甲部隊の目覚ましい進撃により、モスクワ正面まで攻め込む勢いを見せた。ところが、ロシア特有の冬将軍とソ連軍による粘り強い反撃に遭い攻勢は頓挫、膨大な犠牲者を出したのである。
 多くのドイツ貴族は、先の大戦でせいぜい下士官に過ぎなかったアドルフ・ヒトラー総統に好意的では無かった。ナチ=新興勢力であり、成り上がり者の集団でしかない。連中が引き起こした世界大戦が、結局のところドイツの存亡にかかわる事態になったのである。祖国ドイツを救うためなら、あのちょびヒゲには消えてもらわねばならぬ、そう考えたドイツ貴族は少なからず存在した。
 クラウス・フォン・シュタウフェンベルク伯爵が実行したヒトラー暗殺計画は失敗に終わった。この失敗により、たちまちゲシュタポによる「逮捕劇」が繰り広げられる。逮捕された中に、ヨルク・フォン・ヴァルテンブルク伯爵と云う人物がいた。ナポレオンに対する裏切りを成功させた、あのヨルク将軍の直系の子孫である!不幸なことに、ヒトラーに対する裏切りは成功しなかった。成功すれば、彼は副首相次官に就任するはずだった。彼はナチの「人民裁判」にかけられ、ピアノ線で吊るされると云う壮絶な最期を遂げるのである。



↑有名なシュタウフェンベルク伯爵は、ヨルクの従兄弟にあたる。

 ヨルク軍団行進曲〜拙者は、「反ナポレオンに導いたヨルク」だけではなく、「ヒトラーからドイツを救おうとしたもう一人のヨルク」も讃えながら、此の曲を聴いていきたい。

旧東ドイツ軍も演奏していたとは

 拙者は旧東ドイツ時代の行進曲のCDも所持しているが、Im Gleichschritt Marsch!のCDに「ヨルク軍団行進曲」が収録されている。是がまた、軍楽隊らしい泥臭い演奏なんですわ。赤いプロイセンと恐れられた東ドイツ、軍楽隊の演奏も海上自衛隊以上に重い演奏なのである。


↑東独時代の行進曲集「Im Gleichschritt Marsch!」

 ちなみにインターネットの動画投稿サイトで、1956年国家人民軍パレード、1989年国家人民軍パレードの様子が閲覧出来た。いずれもヨルク軍団行進曲が泥臭く演奏されていて興味深い。イデオロギーの違いを超えて重宝されるべ―トーヴェンの威力は凄い!

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海上自衛隊演奏CD-index



★ドイツ行進曲が似合う当管理者の自宅BARのネタです



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超番外編〜ドイツ民主共和国(東ドイツ)の行進曲を聴いてみた!



・華麗なる?東独マーチ

・Im Gleichschritt Marsch!

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