HOME 広島の路面電車


広島電鉄路面電車まつり

まさに路面電車の博物館!


 広電の電車をことごとく見たければ、広島電鉄路面電車まつりがおすすめだ。毎年六月中旬に開催されていて、千田車庫の一般開放がある。我々が現地に向かったのは開始時間の10時だったが、入場口は長蛇の列であった。会場のすぐ横はスーパーマーケットで、明らかに引退したと思われる路面電車が飾ってある。後で調べたら、ドイツのドルトムント市より渡ってきた70形電車。既に営業運転から引退したようだが、解体を免れて休憩所になっていたのだ。拙者好みの重厚な洋風内装を施した客室で、此処で休憩しながら長蛇の行列の解消を待つ。

広島電鉄路面電車まつり

 広島電鉄の面白いところは、何もかも極端であること。最新型の1000形(グリーンムーバーLEX)の横にいるのは、何と旧京都市電。塗装も当時のままで「東山」と云う愛称名まで付いている。全国各地で路面電車が廃止となり、廃車を免れた車両が続々と広島に集まった時代があった。広島電鉄が「路面電車の博物館」と呼ばれるようになった理由が理解できよう。貴重な車体が往時の雰囲気を残しながら維持されているところが素晴らしい。しかも、旧型車両と最新鋭車両が常に混在して走っているのだ。


 さて、会場内は大混雑だ。特に人だかりが出来ていたのは大正型電車、ドラマ「一番電車が走った」で大活躍していた。ちなみに此の電車はちゃんと走ります!休日限定で横川線にて営業運転している。映画やドラマで昔のシーンを再現するのはもってこいの車体だが、俳優業はあくまで副業である。写真右上は西鉄から移籍した3000形電車で、既に博物館級のレトロ感が出始めている。堂々の連接車ではあるが既に迫力不足らしく、比治山線等のローカル運用に就いているとのこと。

車両工場内も一般開放されている


 広電の世界では三連接車は迫力不足。五連接はないと主役を張れない。路面電車のスケールを超えてると云えるグリーンムーヴァーマックス〜こちらはカープ電車〜車内放送はちゃんと選手の声で録音を入れてるらしい!


 路面電車まつりでは、検車区のピットにも入れる。グリーンムーヴァーマックスの足回りを拝見〜床の低さが分かる。写真右上は単車である700形電車で、何だか東京都電のような雰囲気を感じる。昭和57年から登場した量産車で、やってきたのはいいが面白くないからがっかりさせられる電車でもある(笑)。ちなみに路面電車まつり当日は「面白くない電車」ほど率先して働きに出てるのは云うまでもない。

苦難の歴史を未来に伝える


 千田車庫に隣接する広電本社は、既に近代的なビルとなっているが、建物に被爆直後の写真が掲示されていた。爆心地から1.9キロに相当する場所だが、やはり建物の倒壊によって多くの社員が亡くなっているのだ。往時を偲ぶ被爆建物も実は現存していて、車庫の裏に残されていた煉瓦の建物は、当時は旧ボイラー室であった。現在は事務所として活用されているとのこと。苦難の歴史を伝える貴重な存在である。

被爆建物

↑千田車庫の裏に残されている被爆建物

もはや世界遺産級の650形電車

 650形電車〜昭和17年に登場した電車で、時速35キロしか出ないから予備車的存在。広島は、軌道と車道が厳格に区別されているので、路面電車と云っても高速運転を行う。35キロでノロノロ走っていると直ぐに後続の電車が追いついてしまい、渋滞が起きてしまうのだ。昭和17年登場と云うことは、つまり広島の原爆を経験したことになる。著書「チンチン電車と女学生」で冒頭に登場するのが此の被爆電車だ。著者が広電本社の取材中、ベテラン社員が「当時じゃったらそりゃあもう、超最新型じゃった」「運転しとったのは、小さい女の子じゃったらしいんですわ」と云う何気ない一言から、広島電鉄家政女学校の謎を解き明かしていく訳だが、650形電車の存在は、是まで埋もれていた歴史の真実を教えてくれる貴重な証人だったと云えよう。

被爆電車の650型

 記録によると、左の653号車は、江波付近で走行中に被爆。現在は貸切専用で、昭和20年当時の復刻塗装が施されている。昭和20年でこの塗装はさぞかし目立ったのだろう。隣の652号車は広島港付近で被爆。爆心地から遠いためか被害は小破にとどまり、戦後の復旧に活躍。現在も営業運転が出来る状態で、ラッシュ時のみ運行しているとか。

被爆電車の651号車

被爆電車の象徴的存在〜651号車

 此の車両を見ることができたら、広島へ来た価値もあると云うものだ。原爆ドームが世界遺産なら、651号車も世界遺産級の存在だと思う。此の車両が被爆したのは、爆心地から僅か700mの中電前付近。平成16年、被爆して間もない651号車が写る写真が発見された。衝撃的な写真はたちまち有名になり、ネットでも直ぐに閲覧することができる。窓ガラスは全て吹き飛び、車体は黒焦げ、しかも爆風で向きが変わってしまっている。乗客約80人のうち、生存者はたった一人だったと伝えられている。まことに壮絶な車歴にもかかわらず、入念な整備のおかげで今も現役として営業運転を行っている。

 是らの電車は、一時廃車の予定もあった。被爆電車としての価値が見直されたきっかけは、「チンチン電車と女学生」の著者である堀川惠子氏が手掛けたドキュメンタリー番組「チンチン電車と女学生〜2003・夏・ヒロシマ」が大きな反響をもたらした影響らしい。
 被爆電車達は、日々の営業運転をこなしながら修学旅行生の相手や平和学習会の車内会場になるなど、歴史を語り継ぐ役目を背負うまでになっている。是ら被爆電車に関して、当ホームページ管理者が或るストーリーを思いついたので「小説」として書くことになりました。(→詳しくはこちらから)

★楽天版へのリンクです

【POD】相生橋にて [ 江田島 翔 ]

★アマゾン版へのリンクです
相生橋にて (∞books(ムゲンブックス) - デザインエッグ社)

→次ページ:鉄道模型あれこれ

広島の路面電車〜復興と発展を支える

広島電鉄家政女学校

資料館や家政女学校跡地を見る

広島電鉄路面電車まつり

鉄道模型あれこれ

西部警察〜爆破された広電にしき堂号

HOME




.
copyright (c) 2007 sagamitaro. All Rights Reserved.
inserted by FC2 system