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貧乏人は「下等車」へ?

天国と地獄の日本鉄道史

大宮駅を降りてニューシャトルに乗り換える

 周囲はほぼ家族連ればかりである。大抵、参〜九歳くらいの子供を連れている。「と云うかイイ年したカップルは我々ぐらいではないか」と思った。鉄道博物館前駅を降りたら、直ぐ目の前が博物館入口になっとる訳だが、さっきから小さい子供らが足元をちょこちょこ走り回って真っすぐ歩けない。こんな状態が此の後延々と続くことになる。鉄道博物館って小學生対象なの?



 博物館に入って直ぐに目に飛び込んだのは、鉄道が日本で初めて開業した頃の車両だ。有名な壱号機関車に続く客車を見て、思わず苦笑いした。客車に大書きされているのは、ずばり「下等」。つまり、日本の鉄道は当初から等級制が敷かれた訳だ。何と云う分かり易く、ストレートな表現であろうか。さて、下等車の車内にお邪魔してみると、下等にしては立派な服を仕立てた紳士が思いっきりキザなポーズで座っている。其の後ろに座る御婦人は何と正座!しかも席は板の間である!大和撫子の我慢強さに脱帽である。


「しばんし」と書かれた駅名表示が当時の情景を偲ばせる。ちなみに旧新橋停車場は、現地で「鉄道歴史展示室」として運営されている。(写真は→こちらから

開拓使長官と屯田兵では天国と地獄なり


「驛しばんし」の隣に北海道開拓時代の列車が展示されている。「開拓使」と大書きされた客車は、明治政府の高官の専用車。開拓民はみな粗末な掘っ立て小屋に住んで、ヒグマの襲撃に怯えながらの生活であったのに、此の客車の豪華さは正に天国と地獄の格差を象徴している。


 昭和初期に活躍した気動車や電車を観察〜赤いラインが鮮やかだと思いきや、そこには「三等」と大書きされていた。庶民は大抵、此のような「三等車」に乗っていた訳だ。ある地方では、庶民ばかり乗る客車列車より、輸出用の貨物を満載した列車の方が格が上で、貨物列車が客車列車を颯爽と追い抜いていったそうだ。


 三等車の座席だけの展示もあった。明治時代の座席のようであるが、なんと畳が敷いてある。開業当初の板張り座席に比べたら幾分かマシになったのかも知れないが、是で長距離の旅行は辛い。東京から大阪へ行くのに恐ろしく時間がかかった時代のことである。長距離旅行客は丸一日、あるいは一夜を此のような座席で過ごした訳である。先人達の我慢強さに再び脱帽。

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埼玉をぐだぐだ旅する〜鉄道博物館

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リニュアルしてどうなった?

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