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東独雑貨あれこれ

ベルリンの壁キーホルダー


 親戚K氏がベルリンに行って来た際の貴重なお土産です。壁の一部を持てるなんて何だか感激!と思いきや、ベルリンの壁が日本でも見学出来るスポットがあることを最近知りました。横濱市の或る場所へ行って来た際の寫眞は→こちらから!

東独の信号機〜アンペルマン

 1961年、東ドイツの交通心理学者カール・ペグラウ氏によって考案された信号機のマーク、「みんなが交通ルールを守ってもらえるように」と云う願いが込められている。デザインは、かわいらしい三頭身の男の子。殺風景な東独の街中で、信号機の世界だけは何故かメルヘンチックだった。考えた人も凄いが、色気も素っ気もない社会主義政権下において、是を許可した役人も勇気あるよな、と感心してしまう。ドイツ統一後、「東独」デザインが次々と消えて行ったが、此のアンペルマン信号機も例外ではなかった。遂に旧東独の市民達が「アンペルマンを救おう」と運動を起こし、消滅を逃れた。其の後、アンペルマンのグッズが旧東ドイツのお土産として定着、勢いを得たアンペルマンはブランドとして国外進出を果たし、ついに日本上陸に至ったのである。


 平成25年春、行ってきましたよ!渋谷のアンペルマン専門店に。店内はどこもかしこもアンペルマンばっかり(当たり前か)。勢い余ってアンペルマンメンバーズカードまで作ってしまった。
 店内は若い女性ばっかり。「かわいいねー」などと黄色い声でワイワイガヤガヤやってるが、「貴女方、東ドイツ人民の苦労をどこまで分かってのことか?ベルリンの壁が東西ドイツの国境だなんて勘違いしてないよね?」と問い質したくなっちゃう次第。
 そう云えば店員さんも「明らかにベルリンの壁崩壊後に生まれた人だよね」って感じ。もう此処では、アンペルマンは単なるファッションの域を出ない扱いのようだ。



 ベルリンと友好関係にある津和野で「アンペルマンバス」が走り始めたと云う。マイクロバスにアンペルマンのラッピングを施しているそうで、アンペルマンバスのミニチュアストラップが「おまけ」として付いてきた。是が「バルカス」とか「ロブーア」だったら、わざわざ山口県まで乗りに行きたいが、ただのトヨタハイエース(?)にラッピングを施しただけらしい。
 バルカスとかロブーアとか、一体何かと云うと、東独製のワゴンのことである。詳しくは、伸井太一著 「ニセドイツ」に詳しい。

あゝドイツ民主共和コック

 ドイツ民主共和コック〜要は東独のコックさんのことで、ダジャレ好きの伸井太一先生の造語。ドイツ料理と云えば、じゃがいも、タマネギ、ソーセージ。ドイツ料理と云えば、直ぐにこんなイメージが湧くが、一週間で飽きそうなドイツ料理の定番は、主に東ドイツ国民の主食だったようだ。まさか敵国アメリカファーストフードなど食べられる訳ないし、中華料理や日本食など食べたくても食べられない、そんな東国民の単調な食生活に思いを馳せてみた。



 画像↑は国家人民軍のコックシャツなんですよ。壁崩壊後、在庫処分されたものをネットで入手した。見た目はただのコックシャツなのだが、裏を返すと「NVA(国家人民軍)、Mサイズ、1987年」などの刻印が見られる。壁崩壊の少し前に作られた歴史的な一着。是を着ればもう、気分はドイツ民主共和コック。ドイツ料理を作るのも数倍楽しくなるし、お客さんが来た時のパフォーマンス、話題作りにも最適?(意味分からない人がいたら困る!)
 此のシャツを手に入れたのは札幌在住時代で、市内のとある料理イベントで此のコックシャツを着た。是で僕もドイツ民主共和コック、なんて言っても誰も笑ってくれなかったなぁ。翌日は彼女とデートで、「東ベルリンから来た女」をキノ・シアターまで見に行くと云う東独漬けの日々でした。


 では、自宅BAR「プロイセン」にてドイツドイツなひとときを。ホットドッグにジャーマンポテト、バウムクーヘンにクノールのスープ、メリタの珈琲ミルで挽いてメリタのドリッパーで淹れた珈琲!当管理者のブログで、時折こんな料理のネタをやってます。

究極のドイツ民主共和コック〜ロルフ・アンシュッツと云う男

 2013年4月4日、日本放送協會の視点・論点と云う番組。旧東ドイツで日本料理店を開いた伝説の料理人について、興味深い話がなされた。解説は、ベルリン自由大学教授イルメラ・日地谷=キルシュネライト女史〜舌かむようなお名前。其の伝説の人物とは、ロルフ・アンシュッツと云う料理人の家系に生まれた男。ジャガイモ、タマネギ、ソーセージぐらいしか無い東ドイツの田舎町:ズールで本格的日本料理店を開いたのだ。其処には、自由主義陣営に暮らす我々には想像もつかない困難があった。材料無し、情報無し、極めつけは行動の自由も無し、もう無い無いづくしの東ドイツである!

 アンシュッツ氏自身、そもそも日本とは縁もゆかりもない人物。何故だか日本料理に対する情熱とゲルマン職人魂が炸裂したアンシュッツ氏、僅かな情報源を頼りに自力で日本料理を学び、作り上げていったのだ。調達不能な材料は、ドイツで買える野菜などでアレンジするなど、涙ぐましい努力の日々であった。
 番組では、彼の店の様子が写真付で紹介された。思わず息を呑む。まさに是は日本の料亭である。お客さんは、温泉のような風呂に浸かってくつろいだ後、箸の使い方について講習を受ける。みんな着物に着替えてるよ!そしてじっくりと日本料理を楽しんでもらうのだ。日本人が見たら、料亭などと社会主義と相容れないブルジョワ文化の最たるものに感じる訳だが、東ドイツのマヌケな役人さん達はよく分かっていなかったらしい。店が大繁盛し、日本大使も毎年訪問するなど、外国人にも認められるに及び、当局は彼の事業について理解を示すようになったと云う。どんな生きづらい世の中でも、何か面白いことをやってやろう!と情熱をもって頑張ることが、如何にに素晴らしく大切なことか。

 しかしまぁ、やるとなったら徹底的にやるのがドイツ人。女性の店員さんも全員着物を着ている。肩幅が広いドイツ女性の着物姿ほど似合わないものは無い。実は是ら着物の数々は、オペラハウスにある蝶々夫人の衣装を借りたそうだ。なるほど!そして、アンシュッツ氏を陰で支えたのは、商用で時たまやってくる日本人の有益な助言だったと云う。こんな東ドイツの田舎町まで出向いた日本人がいたとは、さらに驚き。

 ロルフ・アンシュッツ〜彼は心から日本を愛し、祖国ドイツを愛し、そして誰よりも料理を愛した。彼こそ究極のドイツ民主共和コックと云えようか。そして2012年、ドイツにおいて此の逸話が映画化された。其の名もスシ・イン・ズール、ドイツで大きな反響を呼んだそうだ。見てみたいよこの映画。日本公開してちょうだいよ、伸ちゃん、たのむわ(笑)。

東独チームのユニフォームを勝手に再現


 画像↑は、管理者デザインの東独ユニフォームであります。カタリナ・ヴィットとは、東ドイツ末期に流星のごとく現れた銀盤のヒロイン。フィギュア・スケートで1984年サラエボオリンピック金メダル、1988年カルガリーオリンピック金メダルの偉業を成し遂げる。可憐な容姿に加え共産圏らしからぬ大胆なコスチュームと妖艶な演技に、世の東西を問わずやんやの喝采を浴びた。カルガリー五輪での「カルメン対決」は、伝説として語り継がれている。お色気度が過ぎていると云うライバル国からの苦情も飛び出したのも、伝説として語り継がれて行くのだろう。ヴィットこそ、まさに東独を代表する大スターであった。もちろん、歴史の暗転は、歴史と共に進んだスターの暗転も意味する。ドイツ統一後、ヴィットは何時の間にか「SED(社会主義統一党)のバカ女」と揶揄されるようになる。七歳からシュタージに監視されていた人生が如何なるものだったかは、本人の著書「メダルと恋と秘密警察」に詳しい。魅力的な秘史の最たるものは、アメリカ遠征中に出会ったドナルド・トランプのエピソードであろうか。もちろん、しつこく口説きに来るどーしようもない奴として登場する訳だが。

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