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広島電鉄家政女学校

図書館でたまたま目にした「チンチン電車と女学生」の衝撃

 札幌在住時代の話だが、市立図書館でたまたま背表紙につられて手に取り、そして釘付けになった一冊がある。其れは、「チンチン電車と女学生」〜まず、中身をちらっと読んで「あっ」と閃いた。「あの話だー」と。大学生の時分、新聞でたまたま読んだ「読者:声の欄」にあった、戦争体験談である。投稿者は、広島に原爆が投下された直後、救援活動に駆けつけた兵隊さんだった方である。

「周囲は見渡す限りの焼野原で『もう日本は終わった』と悲観にくれていた訳だが、驚いたことに、此の惨状の最中を路面電車が走り始めた。もっともっと驚いたのは電車の運転士で、運転台に立っているのはせいぜい15〜16歳くらいの女の子ではないか!黒い制服にハチマキをキリリと締めた其の勇姿を見ているうちに、思わず涙が溢れてきた。他の隊員もまた同様で、いつしか「わーっ!」と云う歓声が上がり、其の少女運転士に向かって帽子を振り続けた」こんな感じの投稿だったと思う。20年以上経っても覚えていた訳だから、強烈な印象だったのだ。


「チンチン電車と女学生」を読んでいくうちに意外な事実を知った。路面電車を運転していた少女運転士達は、広島電鉄が創設した「広島電鉄家政女学校」の生徒諸君であったのだが、此の学校の存在がほとんど忘れ去られていた、と云うことだ。本によると、たまたま広電を取材に訪れた広島テレビ記者の堀川惠子氏が、たまたまベテラン従業員から聞いた「幻の女学校」の存在が気になり、事実を掘り起こして行く。広電の社員も、平和資料館の学芸員すらも、此の女学校の全貌を掴んでなかった。どんだけ忘れられてんだよ、と云うところだが、調査が進むにつれ興味深い話が続々と明らかになったのだ。
 まず、生徒諸君の多くが広島県や島根県の貧しい農村出身だったこと。彼女達にとって、都会へ出て女学生さんになるなど、夢のまた夢だった。車掌や運転業務をすれば逆に給料ももらえる、と云う話は大いに魅力的だったに違いない。
 本では、女学生達の青春の日々が活写されている。なにせ、集まったのは純情素朴な田舎の女の子たちだ。車掌や運転手として「華々しくデビュー」する→都会人の好奇の目に晒される運命となる。なにせ純情だから、初めは人前で駅名を告げるだけで赤面する始末。中には、男子学生に揶揄われて声が出なくなってしまう子も。当人は必死なんだろうけど、只々「かわいらしい!」としか云いようがない。
 如何に時代が灰色カーキ色であろうとも、抑えきれないのは恋愛感情だ。本では、知られざる秘話も続々と掲載。其の内容は、とにかく「かわいい」の一言に尽きる。男子学生らは、お気に入りの運転手の電車が来るまで何本もやり過ごしたりする。運転台にラブレターを置いて行く子もいた。男女交際に何かとやかましい時代、遂げられない思いを抱えたまま、多くのケースはただ時間だけが過ぎて行った。そして、広島はあの日を迎えることとなる。

WEBマンガ〜「原爆に遭った少女の話」

 平成25年、たまたまネットで見つけた「マンガ」を見て、再び釘付けになった。其れは「原爆に遭った少女の話」と云う、何故か無料で読めるマンガ。「あの話だー」と閃いた。本で読んだ「チンチン電車と女学生」まさにあれである。「やっと本以外の媒体が出て呉れたか」と、半ばもどかしい気持ちだった。自分の中では、とっくに映画化されても不思議でない物語だと思っていたからだ。
 此のマンガは、実際に広島電鉄家政女学校の生徒であった雨田豊子さんを題材にしている。作者はなんと!本人のお孫さんである!だからこそ、であるが、史実に徹底的に忠実である。作者自身が元々歴史の知識がない旨を述べており、だからこそ本人に逐一聞き取らないとストーリーが作れない。其のことが結局、余計な後知恵がつかない、ありのままの史実が作品として浮かび上がったと思う。
 作風はずばり少女漫画風である。原爆が絡むストーリーを少女漫画のタッチで描くのも或る意味凄いが、読んでいるうちにぐんぐん引き込まれていく。特に面白いのは、佐藤軍曹との淡い恋物語。二人で写真館へ行くのに、わざわざ「男女の距離」をとったり、空襲警報下の突然のキス攻撃など、男女交際にやかましい時代故の苦労と、時として大胆な行動に出た当時の若者像が活写されている。もちろん、二人の関係も成就はしない。其れどころか、あの運命の日は直ぐ其処まで迫っていた訳だ。
 此のマンガも、当然のことながら原爆の惨禍のシーンがあるが、苦手な方は読み飛ばせるようになっている。其の配慮の是非はともかく、此のマンガからは、どんな思想を持つ人間でも受け入れられる、作者の絶妙なバランス感覚が感じられる。其の非政治性は、見方を変えれば原爆があたかも天災のような錯覚を起こさせる危険も無い訳ではないが。
 雨田さんが、終戦の広島から引き揚げ、疲労困憊のあまり幽霊のような形相で故郷に辿り着くラストシーンは、既に「少女漫画」の範疇を超克していた。是は完璧な作品です!と唸るしか無かった。

テレビドラマ〜「一番電車が走った」

 平成27年、広島は被爆から70年を迎えた。NHK広島放送局では、テレビドラマ「一番電車が走った」を製作。何と「原爆に遭った少女の話」の主人公である雨田豊子さんを主軸にしたドラマであった。
 遂にテレビドラマまで!と半ば感慨深げで番組に見入る。撮影に際して、広電車庫内の大正型レトロ電車をロケに使うなど、力作ぶりがうかがえる。軍人さんとのラブ・ロマンスも、佐藤軍曹→森永軍曹と、配役の名前こそ変えているが、ほぼマンガ版通りに再現していた。ただ残念だったのが、家政女学校のシーンがあまりにも少ないこと。限られた予算と限られた時間では、短縮されるのも止むを得ないか。
 テレビ版は、原爆投下後の電車復旧の場面に時間の多くを割いていた。是はマンガ版には無かったことだ。ドラマの準主役は、松浦明孝広島電鉄電気課課長で、阿部寛が演じている。松浦課長以下、電鉄職員の奮闘で、広電は一部区間が復旧。原爆投下からわずか三日後の出来事であった。復旧した電車の運転台には、ハチマチをキリリと締めた雨田さんの姿も。


↑ドラマに使用された電車は「路面電車まつり」の目玉に

 広電の復旧は、多くの市民を勇気付けた。そして新聞に投書したあの兵隊さんも、復旧した電車と少女運転士に喝采を送った訳である。広島の復興は、こうして小さくも大きな一歩を踏み出した。永遠に語り継がねばならない、歴史の一ページである。

小説「相生橋にて」〜当管理者も小説を書くことになりました〜


 昭和60年8月1日、相生橋にて被爆電車の試運転中に「事件」は起きた。路面電車の女性運転士「ミキ」が突如として昭和20年8月1日の世界に引きずり込まれてしまい、当時の女学生運転士「サキ子」が、ミキと入れ替わるように昭和60年の世界に迷い込んでしまった。
 元の時代に戻るべきか、其の時代に留まるべきか・・・運命の8月6日が迫るなか、二人はそれぞれの選択を迫られる。被爆電車と云う「無言の語り部」をめぐって展開される人間模様を通して、歴史に翻弄される人間の苦悩と悲哀を生々しく描く。原爆犠牲者への鎮魂を込めた管理者渾身の作品が遂に完成であります。
 是迄に読んだ本や広島旅行を通して得た知識でもって、或るストーリーが思い浮かんだので、断固たる決意で執筆に挑んだのであります。(→詳しくはこちらからからどうぞ)

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 是まで謎の存在として忘れ去られるところだった広島電鉄家政女学校〜次第に様々な角度から注目をされ、取り上げられて来たことに、何とも感慨深いものがある。二十数年前に偶然目にした新聞の投書から始まった拙者自身の関心が、近年になって新たな発見として深く自身に根付き、最後は創作と云う行動に繋がって行った訳である。
 続いて、広島電鉄家政女学校に関係する原爆資料館の展示や、現地の様子を観察した際の画像をつぶさに見て行くとしよう。
→次ページ:原爆資料館や広島電鉄家政女学校の跡地を見る

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