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相生橋を渡る路面電車

小説「相生橋にて」

あんな話、こんな話

乗務員を何かと悩ませた「ポール型集電装置」

ポール型集電装置

 昔の路面電車の多くは「ポール型集電装置」で電気を取り入れていた。是がまた曲者で、先端の滑車が走行時に時々外れてしまうのだ。集電装置が架線から外れてしまうと電車は動かなくなってしまう。車掌の仕事の一つは、外れた集電装置を架線にはめることであった。いろんな文献に載っているが、此のポール型集電装置の取り扱いに、車掌業務を担っていた女学生諸君は相当苦労させられたようだ。拙書では、随所に此のエピソードを入れてみた。当時の車両の雰囲気が分からない方は↑の車両を参考にして頂ければと思う。広島電鉄本社に展示されている模型であります。

電車が生き物のように思えるほど愛着が湧いて・・・

 被爆電車211号車が廃車になると聞いて、サキ子がショックを受ける場面がある。苦労して操作方法を覚えて、やっと愛着が湧いて来たと思ったら、その電車は40年も年を取ってしまって、お別れしなきゃならない。確かに職業人として辛い訳だが、211号車という「何処か訳アリの電車」が、訳アリであると云うことで、まるで生き物のように思えて来る〜そんな表現も試してみた。自分で読み返してみて、あまり伝わらないと酷評しているのだが。



↑「山本さん」が怒り狂ったのも無理ないか・・・

 元都電技師の「山本さん」にとって、211号車は「サキ子そのもの」だった。其れ以外の路面電車も、彼にとっては大事な娘達。なのに「くだらない刑事ドラマの撮影で爆破された」もんだから、怒り狂って社長室へ怒鳴り込んだ訳である。恐らく、若い方はご存じないでしょう。広電を爆破した、伝説の「西部警察広島ロケ」〜拙者的は模型まで持ってます。広島の路面電車に興味を抱く、きっかけの一つでもあったから。だからあのエピソードを使いました。

爆破された路面電車から「もみじ饅頭」や「宮島」のシーンが連鎖的に思い付く


 西部警察で爆破された路面電車に書かれた「にしき堂のもみじ饅頭」〜もちろんにしき堂のもみじ饅頭は本当に売っている訳で、拙者も何度かお世話になった。拙書では「さつき堂のもみじ饅頭」と名前を変えて登場。お行儀の悪い宮島の鹿さんが、さつき堂の紙袋を食べようとする場面は、観光客に付きまとう鹿さんを見て思い付いた。油断していると、本当に紙袋ごと食べようとするらしいです。

メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」


 メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴きながら物思いに耽るヒデキ〜ここで「メンコン」を使ったのは、拙者の趣味と言われれば否定しようが無いが、曲の繊細さや悲劇性、有名過ぎるが故に戦前からレコード化されていたであろうと思ったこと、様々なことを考えてシーンに入れ込んだ。結局、執筆しながら聴きまくっていたし、完成したのを読み返す段階でも聴きまくり、一人で涙を流していた訳であります。ヴァイオリンはヴィクトリア・ムローヴァ。ソ連から亡命した経緯のある人です。

エピローグ〜舞台は広島だけでなく宝塚、神戸、福山、仙台にまで

 江田島翔作「相生橋にて」が未完のまま二十数年が経った。関西で鉄道の車掌として勤務していた本庄彩佳は、雲雀丘花屋敷到着後の車内巡回中、謎の「男装の麗人」と出会う・・・是が「エピローグ」の最初のシーンである。此処で阪急電車が出て来ると云うのは、拙者の大阪在住時代へのノスタルジーを色濃く反映している。



↑「男装の麗人」と出会うのは、まさにこのような場面だ・・・

 雲雀丘花屋敷駅は、拙者が小学生の頃、毎日利用していた。駅からほど近い「雲雀丘学園」まで電車通学していたのだ。拙者が狂信的な阪急ファンとなった理由の一つである。雲雀丘花屋敷駅は車庫が近いので「当駅止まり」の電車が実に多い。空になった電車を車掌が巡回している場面がストーリーを作るヒントになった。
 そして・・・出会った男装の麗人が「ジェンヌ様」と云うところが、ストーリーを作るうえで外せない要素でもあった。個人的趣味だけで「ジェンヌ様」を登場させただけではない。広島の移動劇団に所属し、原爆投下直後に消息を絶った「遠い親戚の元ジェンヌ様」の謎を追いかけていくと云うストーリーに繋がって行くのである。

「遠い親戚の元ジェンヌ様」のモデル・・・園井恵子様



↑岩手川口駅近くにある園井恵子像

 広島の原爆で犠牲になった元ジェンヌ様「高城美祢子」、此の登場人物のモデルになったのは、実際に広島で被爆したことが原因で命を落とした元タカラジェンヌの園井恵子さんである。広島で結成された劇団「桜隊」に参加した園井恵子は、被爆直後に即死こそ免れたものの、避難先の神戸で原爆症とみられる病魔に襲われ、命を落とした。園井さんは岩手県出身で、いわて銀河鉄道岩手川口駅近くに、彼女の立派な銅像が建っている。(→写真等はこちらから) 令和元年5月「宝塚歌劇の殿堂」の顕彰者に加えられるなど、近年の再評価は何とも嬉しいところである。


 拙書では「大劇場」が何度か登場する。そして神戸阪急ビルも登場するが、阪神淡路大震災で取り壊されたエピソードも取り入れた。執筆当時はまだ再開発が終わっていなかったので、往時の雰囲気を再現してくれたら嬉しいなぁと、心から願っていたものである。  

消滅の瀬戸際かも知れない言語〜備後弁、そして仙台弁



↑福山駅から見える「かわいいお城」

 「相生橋にて」のヒロインと云えば、路面電車の運転手「ミキ」であるが、彼女の出身地を「広島出身といっても岡山に近い方」と設定してしまったことで、台詞に大幅な修正を迫られた。後で調べたら、広島の方言は地域によって微妙に違っていて、やはり微妙な方言の違いは表現すべきと思ったのだ。
 ヒデキやサキ子が話す広島弁は、厳密には安芸弁で、ミキの出身である福山地方は、備後弁が話されている。此の備後弁と云うのが厄介であった。なにせ、広島弁と岡山弁と三河弁がミックスされているため、他県の人間にとっては極めて難解な言語に聞こえる。なぜ三河弁が入り込んでいるか、と云う理由も面白い。江戸時代、三河出身の水野勝成が備後福山藩主として家臣団と共に入府したことが影響しているのだ。
 備後弁の癖を、ネット等で必死に調べた。広島弁の代名詞のような「じゃけん」は使わない(じゃけぇ)。そして「きゃぁ」「みゃぁ」のような三河風の言い回し、「にゃぁ」の多用・・・。



↑気をつけにゃ、と訴える鞆の浦で見つけた標語。ちなみに拙書では、キャラメルが甘いことを「あめぇ(東京)」「あまぁ(広島市)」「あみゃぁ(福山)」と、登場人物毎にセリフを替えてます。

 消えゆく言語のもう一つは、仙台弁であろうか。誰もが認める大都会仙台に、東北地方特有の泥臭さを感じる人はいない。言語もまた然りで、東京との交流が緊密になった現在の仙台において、仙台弁と云う言葉そのものが消滅の危機に瀕しているのでは無いか、と心配している。
 小説で登場する高城美祢子は、昭和20年当時だけあって、仙台弁が色濃く残っている前提で台詞を作った。「仙台だっちゃ」が何とも可愛らしい響きがある。「爺つぁんばりでねえ、んだがら・・・」「もう国さ帰っぺがなー」等の台詞は、東北弁の人情味ある雰囲気が出て、拙者のお気に入り。まだこんな言い方する人、いるのだろうか。「永成」の時代を生きる聖良愛斗様は、仙台から幾分離れた白石出身だから、少し訛りが残るように設定した。白石特有の方言があるのかは、いろいろ調べたけれども遂に分からなかった。日本語は奥が深く難しい。

 拙書は、当ホームページで取り上げた印象深い事象を、あらゆる場面に使っています。多くの物を見聞きして、人から様々なことを教わって、そして初めて一冊の本になったような気がします。最後になりますが、広島電鉄の写真提供をいただいた我が友に、改めて感謝の意を表したいと思います。

→次ページ:小説「誰かが見た結末」〜拙書の「事実上の続編」です。

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相生橋や中島町を探索して

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